月島が体を擲って弾除けになった瞬間、鶴見はその傘の下で、我が意を得たりの確信を口許に洩らしていた。  諸共に吹き飛ばされ酷い爆傷を負ったが、激痛を凌ぐ昂揚が意識を支えていた。時宜に適った被弾と合点すらして、敵の砲兵に感謝したいぐらい、鶴見には脚本に相応しい演出だと思われたのである。  彼は月島の判断力に或る傾向<バイアス>が働く様に、敢えて戦場の最前線という進退窮まる非常時に於いて決断を促したのだった。故郷にも帰れない、待つ人もいない個人の背景を熟知していた私は、一兵卒として今後を全うさせる煽り文句を……と言えば嘘八百を並べ立てた様で人聞きが悪いから訂正しておく。単に自分の所懐を述べただけである。  言い添えておくが「共に戦ってくれ」だの「お前が必要だ」だの、直接乞う台詞は只の一言も口にしていない。月島に自分で進む道を決めさせる事、それが重要なのだ(時には強要も必要だが、信頼を瑕物にされて気が塞いでいる相手には逆効果だったろう)。  艱難辛苦を啜りながら励まし合う仲間、無念の戦死を遂げた仲間の柵<しがらみ>に閉じ込められた状況下で、尊く悲惨で美しい使命感を謳う私の言い分を退ける事は、大勢の戦友を裏切る事に直結し易い。  責任感が強く、一途な月島が選択を迷わぬ様、私は私の身勝手な期待を込めて、そっと背中を押してやったに過ぎない…………。    月島の薄い虎鬚<とらひげ>には鶴見の右手が添えられている。そういえば長い年月を共に過ごしながら一度も触れられた事がなかった(当たり前だが……)。  恐らく今宵限りでそんな箇所は体の何処からも消え失せる。鶴見が項<うなじ>の生え際に接吻しながら襯衣<シャツ>の釦<ボタン>を外していく時から、否もっと前、この人との間に他の誰とも分かち合えない遣る瀬無さが横臥<よこたわ>っている事を知った時から……否もっと前から眠らせていた予感だったのだろうか?  ふと脳裏を掠めた疑問を捩じ伏せる様に、強く肯定する様に、もう口には舌が挿入<はい>っているのだ、ならばいっそ迷わせる過去ごと絡め取られてしまえば良い、そう思い切る舌の積極性が相手に伝わるのか、後ろから腰を抱く左腕の締めつけが強くなり、捻った首が少し仰け反って、頬まで裾を成す上髭と、頤唇溝<いしんこう>から滝と落ちて顎に溜まる下鬚が、擽りを深くする。  「、ん……、っ……」  額当てを取ったその下の蒸れた体温と、口膣の熱、外と内から顔が浸される中、躙る髭がまるで愛撫の様だ。怠い瞼が目の仕事を取り上げて、ひとつ余った感覚が、触られている部分に移ったのか、妙に敏く、鶴見が与える全てを心地良さとして拾う。僅かに唇が離れた隙に脇から札状の小さな布糊紙が差し込まれ、舐め合い溶かす。口の中がどろどろになって舌が滑<ぬめ>る。これが何処に必要なのか月島も知っている。伸ばしていた膝を立て、両手を体の横について少しだけ尻を浮かせると、鶴見の右手の中指と人差し指が揃って月島の口の中の、左の同じ指で自分の口の中の、蕩味のついた唾液を掬った。  「ぁ、」  両の二本の指を交互に、重ねて塗られる。鶴見の陰茎を迎え入れる場所だ。本当にこんな狭い穴にあの逞しい雄が挿入るのか、動揺が集中を妨げもし、淫靡な期待を仄めかす。鶴見が月島の二の腕に摺り落ちた襯衣を肩に掛けて直し、その上から冷え切った肩と二の腕を擦<さす>って、熱を帯びた吐息を耳に寄せ囁く。  「……月島。私を強請<ねだ>ってくれ」  「…………。ねだ、…………、……………………。」  (上官を飴みたいに呉れ呉れ言えと……)  途端に悄<すん>と畏まって黙<だんまり>を貫くいつもの月島が戻ってきたのを感じて鶴見は然<さ>も可笑<おか>しそうに微笑<わら>った。  「では、言い訳をやろうか。こういうものを、私はあまり好まないが……」  彼は枕元に置いてある黒い丸盆の端を人差し指に引っ掛けると、畳の上を走らせて脇に持ってきた。小洒落た豆洋燈<ランプ>と、小振りの水差しと、何枚かの布糊紙が乗っている。そして半分程しか入っていない水の、更に半分にも満たない量を盆の上に零し、布糊紙を指で溶いた。月島の与り知らぬ事だが、一枚だけに違う成分を加えてある。極微量の黒い粉である。  「快楽を得易くなるんだそうだ。苦痛を和らげるだけじゃ、慣れんうちは辛いだろう」  緩<ゆるり>と捺塗<なぞ>る指が、蛞蝓の通った後みたいに乳首、下腹から陰部に薄い粘り気を残していく。  月島は何となく顔を上げて礑<はっ>とした。ちょうど正面の壁に立て掛けられている姿見が目に飛び込んできたのである。足元の右角に豆洋燈が添えられており、縦長の木枠の内に、曖昧に奥行きを覗かせている。  其処に、開いた脚の真ん中に上官の手を受け容れている自分の姿を辛うじて認めた時、思わず顔一面に刷いた羞恥の色を、首から上に集中した体温で自覚した。未だに萎えている陰茎の先端を人差し指で撫でられながら、鏡の中で鶴見と視線が合ってしまい、居た堪れなくなって反射的に顔を逸らしてしまった。  後ろから伸びた右腕が足元の二つ折りにしている掛蒲団を引っ張ってくる。両肩に裾を乗せて首から下を隠す様に体の前を覆う。  「寒いから暫くこうしていようか。そのうち薬も効いてくる」  「……はい」  然り気なく気を遣って呉れる事が今の月島には有り難かった。髭を伴って耳の後ろの生え際を歩く唇が、鏡を通じて呼び起こされた往生際の悪さを食<は>む。俯いて項を差し出すと甘噛みしては、時折、舌の先で線を引き、舐め上げられる。腰を抱いていた左腕の先が開いて胸を撫でている。  自然と右腕も加わって、下腹部を斜めに走る裂傷の痕を触っている。二度の戦場を潜り抜けてきた強靭な肉体は向かい傷だらけで、そのひとつひとつに意味を持たせる事など無意味だと思っているが、引き攣れた肌の感触を確かめる様に愛でる指先から、ひとつだけを特別扱いする鶴見の意図を感じる。あの時、露軍の一九〇二年式野砲が陣地付近で炸裂して、鶴見は顔の上半分を額を中心に重度の熱傷を負い、月島は榴弾の破片を喰らった。文字通り命懸けで上官の命を守った証が肉体に刻まれている事を意識させられる。その上官が鶴見中尉殿であるという事実が、部下への感謝と兵隊としての面映ゆい誇りだけが交わる痕に留めて置かない。  月島の呼吸が落ち着かなくなってきた。二度目の布糊が塗られた箇所が、次第に痺<じん>とした熱の蹲<うずくま>りと蚊に刺された様な掻痒感に苛まれつつあった。この皮膚の憎たらしい焦燥を殺す想像だけで、吐息が昂奮に嬲られる。鶴見の悪戯に胸を仰け反らせて身震いする。痒くて堪らない左右の乳首を、人差し指の爪が執濃<しつこ>く掻いている。  「ぁあ……!」  余りの気持ち良さに思わず零れた嬌声も悸<わなな>いている。乳首を玩具にされる快楽に淫する間に勃ち濡れてきた陰茎も同じ目に遭わせてやれば良いのは勿論だが月島は敷蒲団を掴んで堪えていた。さすがに上官の前で自慰はしかねた。  左の乳首に篠突く雨の刺激が熄<や>んだ。鏡に映る掛蒲団の、股の間が蠢いている。左手は此処にあって、陰茎の上側を握っている。  「あッ、あぁ、つ、っ……鶴見中尉、殿、ッあぁ!!」  親指の爪に亀頭の中心を刳繰<クリクリ>と弄られる。全身の粟立ちが背筋を引き締める。体液が滲出し続けているのが判る。鶴見が投げ出した両脚の間で引き攣る体が胸に凭れながら左に傾いだ。月島は匍匐で畳の上に逃れようとする素振りを見せた。しかし鶴見はすかさず掛蒲団を取っ払い、月島の右膝の裏を左手に掴んで脚を大きく開かせ、自分の左の肩口に脛を乗せた。釣られて右の腰が捻転し、鶴見の左足を跨いで左の肘に支えられた格好で上半身が仰向けになる。見ている前で左手に捕まえられた陰茎の、先刻まで親指で爪繰っていた箇所が、今度は右の人差し指の爪に乳首の扱いを受ける。四肢の内で熱い炭酸の泡が蒸発して痺れの染みとなり頭蓋まで浸されていく。  「そ、れは鶴見中尉殿待っ、ぁッ、はっ、あッ、あァーぁッッ!!!」  下腹が連続して噦<しゃく>り上げる最中、霧状の噴射を月島は己の体の生理現象ながら初めて見た。陰嚢の裏側に左手が隠れた。息衝きも終わらないうちから期待が身震いさせ、裏切られない確信が痴態に満ちて足の末梢がぴんと張る。鶴見は意を察してふ、と微笑い、甲を上にして揃えた中指と人差し指の頭で穴の周囲に群がる掻痒感を擦り潰し始めた。悦<い>い、悦い、と鶴見が見た事もない表情が言っている。仕事の様に淡々と上下に律動する手に、辱めの似合う肛門にされていく過程が喜びの連続である事を刷り込まれる。一方で、盆上の粘液を僅かに舐めた右の小指の頭。尻の溝で指の並びが割れる。この悩ましく恐ろしい刺激が内に齎されると一体どうなるのだ?考える暇もなく食い込み、少しずつ中へ、中へと、根まで埋められていく。ああ、駄目だ、いけない、考えるだけで頭がおかしくなりそうだ。  凝<じっ>としていた小指が軈<やが>て肛門の拡張を始めた。尾骨の方に圧し下げては、陰嚢のある逆方向に押し上げ、慎重な抜き差しもする。内壁一面にひりつきの黴が繁殖しつつある月島には鶴見の気遣いがもどかしい。この人を迎え入れる為にどうしても必要な備えなのだ、と呼吸を深くして―――薬指が役を代わり―――逸る自分を宥め続けているうちに―――中指が加わった。鶴見は肛門の閉塞感を紛らわせる為、左手に陰茎を取り、達しない程度に綰<わが>ねた五指で撫でつつ、人差し指を混ぜた。抜き差しが呼吸を従わせ、間隔が短くなってきた。鶴見の手の動きが、欲しかった刺激に近づいてくる。  「はぁっ、はァっ、アぅ、うっ、ぁ、ッうぅ―――……ッ!」  月島は左の眉の上を畳に擦りつけ頭を振った。右手の甲を力任せに噛み、かと思えば両肘を立てまた仰向けになって両手で敷布団を握り潰して頭をがくんと肩の後ろに落としたりする。さすがに皮膚の覆いがない箇所には拷問、蜿打<のたう>ち回りたくなる効きの強さに侵され、其処をじゅぶじゅぶと乱暴に突きまくっては四方にぐちゃぐちゃと掻き乱す三本の指に犯され、もう何が何だか分からなくなってくる。鶴見は陰茎を詰狭<きつ>く握り締めながら穴を襲い続け、月島軍曹からは想像もつかない乱れ具合に、些<いささ>か無粋だったかな、と盆上の物を閃<ちら>と思った。切なげに眉根を寄せて此方の目に訴える月島の口から、乱れた呼吸に揉まれた懇願が零れた。  「指、では、足りませ、つ、鶴見中尉殿ッ、わ、私に、鶴見中尉殿を、ください」  額の中央から顧みた無粋に似た体液が蕩然<とろり>と眉間に滴った。残りの命の使い途を誓った言葉と同じく、聞いてみたかった。自分が月島を求める様に月島も求めてくれたら、と望んでいるが薬効の所為では満たされない。虚しさが却って鶴見を昂奮させた。半開きになっている上の口にも突っ込んで下の口と同時に嬲るとか、両脚の膝の裏を前に押し広げ天井に向かって曝した下の口に張形を二本挿入して交互に突きまくるとか、攻撃的な妄想を頭の中で撹拌して溶かして、溜息で逃がした。額の損傷は脳にも影響を及ぼしたらしく、嗜虐の面に於いて以前はもっと悠長だったはずだが、ともすれば品を欠く様になってきている。別に月島を玩具にしたり傷つけたりしたいわけではない。  そっと指を抜かれた跡が、餌を求めて水面に口を突き出す鯉の口の様に、ぽっかりと黒い空洞になって蠢いている。  「……んっ……ぁ、ッ、……!」  呼吸もまだ整わぬうちに其処を塞がれる。苦しくても構わないから一思いに深く突き刺して欲しいのに、鶴見は労りの姿勢を崩さない。ゆっくりと肺に迫り上がってくる圧が心地好くて、肛門を一杯に詰められる間、頭が温かく痺れて気が遠退き、終いには多少窮屈ながらも痛みなく嵌ったが、体がぐったりして、なのに犇めく疼きは活きて摩擦を欲しがり、焦燥の鞭が意識を打つ。今、突き刺さっている物に指より酷い続きを望む余り、やめないでください、と言ったか言わなかったか……。  鶴見は脚を肩から外して心此処に在らずの顔を覗いた。起き上がろうとするのを、伸べた手で引き寄せて手伝い、元通りに座らせると、彼は月島の両腕から襯衣を引き抜いて傍に脱ぎ捨ててある軍袴の上に投げ、自分も同じ様にした後で、膝の裏から両腿を抱え、ぐいと左右に開き、姿見に向かって月島の股を曝した。  暗闇の中に峻り立つ陰茎と膨らんだ陰嚢の下が、豆洋燈に炙られ透けた翳の帳に覆われて、茫乎<ぼう>と鏡に浮かび上がっている。眇目にも朧げであろうその一点が……別の人間の体の一部とは思えない程ぴったりと凹凸が嵌まり、繋がった悦びで卑攣<ひくつ>く肉の襞まで鮮明に……強張る月島の目には映ったのである。私達はこうなる運命だったのだ、と鏡の中から諭す様に鶴見の声色で耳打ちする者が鏡の中に居る。  詰狭<きつ>い締め上げを感じて、鶴見は両腕を胸に回して月島を掻き抱くと、気分の昂揚を抑え切れずに濡れた額を後頭部に押し当てた。  「月島。私の月島……」  独り語ちた呼び掛けに応え、恐る恐る額を窺う頬に唇を接<つ>け、囁く振りをする。  (お前は【私が選んだ】のではない。お前が【私に選ばせた】のだ。”誰よりも優秀な部下で、同郷の信頼できる部下で、そして私の戦友だから……”)  どうしても助けたかったと言ったのは偽らざる気持ちだった。お前があまりにも運命に従順だったから、私はお前の運命になろうと決めた。死刑の代わりに私を受け入れても月島の地獄行きは変わるまい。ならば道連れに私が貰っても同じ事だ。佐渡の僻村、人殺しの父親、駆け落ちを誓った幼馴染の女の子、二つの戦争―――この解き甲斐のある知恵の輪は、お前を手に入れる手段として、私の為に用意された喜びだった。  揺らいでいる双眸に己の確信を焼きつけながら、深く口づけする。鶴見の舌に優しく煽られ、淡い目眩に浸されて瞼が蕩ける。上半身が鶴見を背凭れにしたまま後ろに倒れる。下から叩かれ癒着が擦れる。叩<パン>、叩、叩、叩……叩、叩、叩叩叩叩、穿ちが膠膠<ニチャニチャ>と鳴る音に絡まれて、律動的に奥まで突かれる間隔を徐々に詰められていく様子が、深<しん>とする六畳間に喋喋しく響く。気がつけば爪先立ち腰を浮かせて強請っている。  「……はッ……はぁっ……あッ、あぁ……!あぁ……!ぁあぁッ……!」  淫穴の中の憎らしい疼きを容赦なく拉<しだ>かれて快がり声が上がる。鶴見の額が憑いた様に陰茎が随喜で濡<そぼ>つ。追い詰められて昇っていくにつれて堕ちていく、堕ちていく……奉天で騙されていたと知った時から……この人が衛戍監獄に面会に来た時から……父親を殴り殺した時から……あの子が姿を消した時から……日清戦争に従軍した時から……思い起こされる人生の分岐点はどんどん溯り、彼是<かれこれ>が皆間違いではない気がする。佐渡であの父親の下に生まれついた事も、荒んだ青少年時代も、あの子の存在も、今を必然性に富んだ紋様で編み上げる材料に過ぎないのだろうか?判らない、解らない、分からない。  速く、遅く、突き上げられる度に混乱が摩耗していき、冥<くら>い天井の下の現実に翻弄されるだけになっていく。ゆっくりと引き抜いて雁首を半分外に出しまた中に戻しては入り口に引っ掛けている、かと思えばいきなり中を激しい摩擦が颯走<さばし>り、最奥を撫でられて、月島は繰り返し「鶴見中尉殿」と呼ぶ途切れ途切れの上擦り声を喘ぎの中に縫い込んだ。鶴見は月島の望みに半ば中<あた>ったのか、騙してでも求めた貪欲さを隠そうともせず肩に噛みつき、抱いた胸を弄り乳首を爪で毟り刺し「私の月島」と応じては、額から体液を一条、また一条と横滑りに垂れ流した。彼は口を吸いたいと思った。月島が首を右に捩じりそれを求めた。辛そうだが艶めかしい息の海が口の中に広がり舌が溺れ、胸を責める左手に右手の重なりを感じた鶴見が五指の隙間を掬って掌を抱くと、月島の指が折れて甲に縋りついた。  涎で泥濘<ぬかる>み収縮繁く待つ穴に、肉の楔が穿たれ、刮<こそ>げ合い快楽を分かち合う陰部の様子を、鏡がずっと映している。
20210429